なんて、タイトルでは恭しくご紹介してしまいましたが、いつもは私、勝手に「せっちゃん」と呼ばせていただいております。顔見知りでも何でもないのに。
サテ、彼はいったい何者?
そう、陶芸家。
私がひそかにコレクションしている器の作家さんです。食器だけではなく、花器なども創られていらっしゃいます…ん? 丁寧語、これで正しいかな? まぁいいや、それはともかくとして。
はい、彼の器を集めています。
まぁ、そうは言ってもなかなか買えるモノではないんで、まだ3点しか持ってないんですけどね。それでも、今後も少しずつ買い足していきたい。そう思ってます。
なにしろですね、彼の器に乗せちまえば私の料理だって何でも美味しそうになる、という魔法の器。「彩墨流」と呼ばれるオリジナルな表現に惹かれまくっております。
ふぅ、熱く語っちまったぜ。
あ、「彩墨流」ってナンダ?
それがよく分からない方のために、まずは彼のウェブサイトより彼自身の言葉にて・・・
空を漂い行く雲も、とどまることなく流れる水も、一定の形をもたず自然の流れに逆らうことなくただただ移り変わり「いま」が続いている。その自然の営みから儚さや美しさ、いのちの尊さ、無限の存在を感じ心が動かされる。その感動を自分を通して表現し伝えたいと試行錯誤するなかで「彩墨流」という独自の表現に行き着いた。
この手法は泥漿を配置しながら流し、変化流動する模様を一瞬にして留める。初めから決まった形があるのではなく蓋然や偶然の要素が大きいが即興でもある。二度と同じ模様は出来ないし、自分の思いと自然の力が対話し調和することで作り上げるところに魅力を感じています。
(瀬津純司さんのウェブサイトより抜粋)
やっぱりよく分からない(笑)。
ハイ、勝手に説明させていただくと、墨流しってあるじゃないですか、水を張った容器に墨をそっと流し込むと、水面に、偶然にして出来上がる模様みたいなヤツ。あれの陶芸バージョンみたいなもの(ちょっと違ってるかもしれない。違ってたらゴメンナサイ、せっちゃん!)をイメージしていただけると分かりやすいかもしれません。
以前はまったく料理をしなかった私が料理をするようになって、もう5年ぐらいにはなるのかなぁ…ある日ふと、ちゃんとした器で食べたい。と思うようになりました。
なんだろう? 食事って、雑に済ませてしまおうと思えば幾らでも雑にできるじゃないですか。私なんて台所でトマトとか切ってると、そのまままな板の上で完食。なんてザラでした。
それを敢えて、丁寧に食する。そこに魅力を感じたわけです。
料理をしなかったころの私にとって「食文化」というのはまるまる完全に抜け落ちてしまっていたものでした(独り暮らしの10年間、夕飯はほぼスーパーの総菜だった。しかも半額シールの貼ってあるヤツばっか)。
だからこそなのか、料理を始めた途端、ものすごく広大な世界が開けたように思いました。まぁ「衣食住」の3本柱のひとつなんですから、当然と言えば当然なのかもしれませんが。
料理本の中で扱われる言語は、まさに未知の領域。なに言われてるのかぜんぜん分かんなかった(笑)。ホント、新鮮だったなぁ…。
と、そんなことを思い出しつつ、これから今夜のご飯を考えます! さ、せっちゃんの器に何を乗せましょうかね。